プロフィール

はじめまして。
伊藤健一と申します。
まず、このブログの趣旨を説明します。

あなたに届けたいこと

元号も令和に変わり、AI(人工知能)の普及、サラリーマンの終身雇用制度の崩壊、外国人労働者の流入といったことによって、私達の生活を取り巻く環境は目まぐるしく変化しています。

この急速な変化に対応できずに、格差もさらに広がっていく状況です。

現在、私と同じ団塊ジュニア世代の人たちは、この漠然とした不安にもがいています。

そこで大事になってくるのが、新しい時代に対応するための思考力だと感じています。

学びのシェアとして供給できればと思っています。

実社会の中で疲弊ししている同世代の人たちに元気になってもらいたいです。

これから私の生い立ちを紹介していきます。

子ども時代

私は1971年(昭和46年)生まれになります。

子供の時は、身体が弱く小児喘息でした。

寒暖差が激しい季節の変わり目が特に発作がひどく、吸入器をあてていました。

また、激しい運動をした後に発作がおきました。

特に辛かったのがマラソン。

息を吸って吐くといったこと行為が困難でとても苦しかったです。

小学生の時は、男で体が弱いというだけで、ハンデになることから、自分が喘息であるということをずっと隠していました。

そんな状況なので、風邪でもないのに咳をすることにふざけていると誤解され、悔しい思いをしました。

喘息の原因が絨毯からのダニであることがわかり、部屋の絨毯を変えたところ、発作は起きなくなりました。

その時、小学校5年生でしたので、約10年間喘息に苦しめられたかたちとなります。

子どもの頃の性格は、周囲と誤解が生じ、衝突が多かったことです。

まず、じっとしていることができなくて、落ち着きがないとよく注意をされてきました。

今では想像ができませんが、とにかく目立つことが好きで、授業でも率先して手を挙げるなど活発でした。

よく思われたいとか褒められたいとかいうよりも、思ったことを話さないといけないという衝動からです。

元気があってよいと受け入れる先生もいれば、授業の妨害をして邪魔をしていると捉える先生もいました。

まともな回答よりもピントがずれた回答が多かったのが理由です。

先生からすれば、扱いづらく面倒くさいヤツと思われていた。

そのため、その先生は直接自分に言わないで、私の親を呼び「自分が発言をすると授業が止まるので困っている」と注意を受けます。

親からは、「先生はお前が、授業中に手を挙げて発言するのが迷惑なので、これからは一切やらずに大人しくしていろ」と言われます。

迷惑という言葉が子供ながらにショックで、これまでしてきた行動が急に恥ずかしくなり、自分に自信がもてなくなり内向的な性格となってしまいました。

いつもはしゃいでいて落ち着きがないと注意をされていたのが、口数も減り、引っ込み思案で目立たない子どもへと変貌します。

これまでなんとも思わなかった団体行動が苦痛に感じるようになりました。

自分からあえて、1人になることを選択した感じです。

みんなが楽しむことに興味が持てなくなり、当然、クラスでも孤立していきます。

友達ができても、どこか自分は人とズレているという部分があり、一緒にいても距離感をずっと感じていました。

中学・高校時代

私が中学に入学した1984年(昭和59年)当時は、校内暴力が問題となっていました。

その影響から、学校では朝から晩まで生徒を拘束する方向となり、同調圧力によって運動部に強制的に入る雰囲気がありました。

部活に入らなければ、イジメの対象です。

仕方がなく、楽そうな卓球部に入部。

でも、実際は楽ではなっかったです。

毎日朝練で走るのがきつかった。

でも、ひたすら走らされたことによって次第に足が速くなり、運動会のクラス対抗リレーで活躍できたことは嬉しかった。

バトンを渡されて、前の走者を追い抜いぬき、大歓声を浴びた高揚感は今でも忘れません。

しかし、卓球が好きではなかったので、最後まで上手くはなりませんでした。

成績はオール3で、たまに4を取るといった可もなく不可もなくといった状況でした。

地元の公立高校に落ちて、併願で受けた私立の高校に入学。

小学生の時にそろばん塾に通って3級まで取ったことから、計算をするのは好きだったので、商業科にしました。

男子校だったので、女性との出会いは皆無となります。

そのため、高校時代は母親以外の女性と接する機会がほぼありませんでした。

高校時代に一度も女の子とお付き合いすることがなかったことは信じられないかもしれませんが、男子校では意外と多く見られます。

同じ境遇の人なら分かってくれると思います。

サラリーマン時代

自動車販売会社で中古車の営業

当時はバブル全盛期だったこともあり、高卒でも就職は引く手あまたの状態だったのと商業科だったことから就職を選択しました。

某自動車販売会社に就職。

事務職を希望して入社したのですが、資格を持っている人が事務職に就き、私は一般事務として配属されました。

新車をお客様に納車することや、車を登録する際に必要となる車庫証明書類を警察に届けるといった営業の補佐的な仕事です。

この見習い期間の後、中古車の営業をします。

中古車は飛び込みの訪問営業はせず、来客されたお客様を対応するといった待ちの営業となります。

私がいた営業所は、幹線道路沿いで人通りが多いのにも関わらず、来客数が少ない店舗でした。

理由は、展示スペースが狭いため車の数が圧倒的に少なかったことが原因。

では、どうやって売上を作っていたかといいますと、まず1つ目が、新車の営業マンにお客様を紹介してもらうかたちです。

新車ではなく中古車でも購入してもらうと、お客様との関係が途切れることなく継続されるので、積極的に紹介をもらうことができました。

2つ目は、『カーセンサー』という中古車の情報誌からの引き合いです。

今では、展示している車をネットに載せればいいですが、当時はパソコンすら普及していない時代。

なので、『カーセンサー』からの引き合いが売上を大きく占めていました。

そのことから、独自色を出すために差別化をはかっていました。

例えば、4ナンバーのワンボックスカーやアウトドア系の車種を中心に揃えるといった感じです。

『カーセンサー』からのお客様は、店頭に足を運んて来場したお客様と違って、買う気満々なので、とてもやりやすかった。

しかし、バブル経済が崩壊したことによって、採算が合わない店舗と判断され、閉鎖を余儀なくされました。

新車の販売に移動を命じられます。

この時、22歳。

大学に行っていれば、新卒で入社する年齢です。

会社に入って4年が経ち、新車の営業は中古車と勝手が違うことから、転職を考えます。

簿記2級に合格して、建設業で経理に就く

通常、事務系の仕事に就きたい場合、簿記2級が必須となります。

商業科を卒業して何で簿記の資格を持っていないのかといいますと、簿記2級は持っていることは持っているのですが、「全商簿記」といって商業高校に通う生徒に向けた資格のため、世間の認知度が低く評価されないものだからです。

一般的に簿記の資格を指すのが、日本商工会議所が主催する「日商簿記」になります。

そのことから、基礎からやり直すつもりで、平日の夜と休みの日を利用して専門学校に通います。

簿記3級は1回で合格できましたが、2級は落ちてしまいます。

勉強に集中したいことから、意を決して会社を辞めます。

この日から合格に向けて、簿記漬けの毎日となります。

朝から晩までただひたすら過去問や問題集を繰り返し解きまくったことにより、自信となって手応えを感じ、2級に合格することができました。

これまでの人生の中で、一番勉強したと思う。

早速、就職活動を始めます。

未経験でも20代であったことから、簿記2級を持っているとすぐに採用が決まった。

就職先は建設業の経理です。

経費の精算・銀行の入手金の管理・月次決算と、経理の基礎を学びます。

経験がないので、どうしても時間内に仕事が終わらず残業になってしまいます。

残業代は支給されましたが、度々続くと自己管理ができないと判断され、遠回しに自己退職するよう勧められます。

ようやく仕事が覚えてきたところだったのでくやしかったのですが、相性の悪い上司と仕事を続けていても仕方がないと判断し、退職をします。

その後、同じくハローワーク経由で経理事務に就くも、会社の業績悪化によるリストラによって転職を繰り返す羽目になります。

出版社で経理

そんな中、出版社に経理として入社。

大学や公共図書館に向けた学術図書をメインとした出版社になります。

大手は別として、中小・零細の出版社は本を出し続けなけば会社を維持することができません。

出版された本は、直接本屋に収めるのではなく、一旦取次に納品します。

取次とは業界用語にあたり、意味合いは問屋と同じです。

その取次に本を納めると、翌月入金がされます。

しかし、納めた本の大半が返品となります。

その補填分として、また新刊を出す。

つまり、自転車操業です。

現在、出版不況と言われているのに、本の新刊が多いのがこの理由です。

手っ取り早く売上を増やすためには、毎月の新刊点数を増やすことになります。

社長の戦略は、著作権が切れた本をコピーして刊行するスタイル。

すでにあるものを編集するので、短期間に多くの本を出せる仕組みです。

社長の戦略が功を奏して売上が増え、社屋も建てて順風満帆のように見えた。

しかし、この状況は長くは続きませんでした。

過剰な設備投資によって次第に資金繰りが苦しくなり、倒産となります。

経理でしたので、早かれ遅かれ倒産するのはわかっていました。

でも、わかっていてもショックは大きく、現実を受け入れるまで時間が掛かりました。

日用雑貨の問屋で商品管理

この時、1999年(平成11年)3月。

1997年(平成9年)に消費税が5%に引き上げられ、デフレに突入した就職氷河期にあたります。

なので、転職活動は大変でした。

経理職の求人事態が少ないことから応募者が殺到し、1人の求人に100人集まるといった状況で、30社近く面接をするもことごとく不採用。

経理にこだわっていたら、再就職もいつになるかわからない。

ここで、方向転換をします。

中古車で車の運転には慣れているので、配送業務を含めた仕事も視野に入れて探します。

そこで、日用雑貨を卸している会社に就職。

世の中は不景気でしたが、仕事はとにかく忙しかった。

商品の配達がお店に間に合わせる都合上、会社に7:30までに行かないといけないため、毎朝5:30に起きて出勤をしていました。

ひと息ついて、座っている暇などない環境でした。

でも、自動車販売会社を辞めてから、まともにボーナスをもらっていなかったのと給料が良かったのが魅力的でした。

社員構成は私が一番若く、他は年配の方が多く、力仕事は当然私が全部やることになります。

まだ、20代と若かったから務まったと思います。

私の仕事はメーカーに商品の発注、商品の在庫管理、ピッキング作業及び配達です。

2人体制で、作業をしていました。

もう1人の方が定年退職で辞め、私が1人で業務を担うことになります。

ちょうど、廃業するお店も増えたこともあって売上が下がり、経費を抑えたいのが理由です。

そのことから、仕事はさらに忙しくなります。

しかし、忙しいのは私だけです。

そこで、社長に改善を求めますが、「貢献度が足りない」と一方的に言われ取り入ってもらえず、それ以降仕事に対する要求が更にきつくなります。

配達の積み込み作業は、営業も一緒に行うため、社長としては早く営業に出させて、新規開拓の時間に割り当てさせたい目的から、これまでの時間よりさらに30分早く出勤するように命じてきます。

7:30から7:00に変更。

その分朝起きるのも早くなり、毎朝5時起きです。

そんなことから、仕事に不満を持つようになり、大きなミスをしてしまいます。

棚卸で在庫の数を間違えてしまい、そのことが発覚して、給料を減額されてしまいます。

弁解の余地はありませんが、自分だけ損な役回りをしていることに嫌気がさして、社長との関係も悪化したことから退職をします。

印刷会社でDTP

経理と前職の商品管理を中心に求人を探します。

そこで、商品管理の求人を出していた印刷会社に就職をします。

印刷会社といっても、自社で印刷や製本をするのではなく、外注先に仕事を振り、メインはDTP業務になります。

DTPとは、印刷物の版下をパソコン上で行う作業の総称をいいます。

主に「illustrator」というソフトを使って仕上げます。

趣味でイラストを描くことが好きなことから、DTPに興味を持ちデザイン系のスクールに通い、欠員が出たので代わりに引き継ぐことになります。

地図やロゴのトレースに始まって、名刺やハガキといったものから小冊子の組版、チラシ作成をしてきました。

一番自分に向いていた仕事であったことから、やりがいがありました。

仕事に関しては申し分なかったのですが、職場の人間関係が最悪でした。

その原因を作ったのが社長の言動によるものです。

社長は気分屋で感情の起伏が激しく、関わると面倒なので誰もが関わることを拒んでいました。

本人も人望がないことを自覚していたのか、忘年会といった社内行事は一切ありませんでした。

そのような背景があるので、必然的に個々のコミュニケーションはなくなり、仕事以外の会話は一切ないドライな関係でした。

お互いが助け合うといった環境ではなく、すべてが自己責任。

仕事が順調の時はそれでいいのですが、一旦仕事が上手くいかなくなった場合、責任が全部自分に負いかぶさってくるので、精神的につぶれてしまう人が後を絶ちませんでした。

私もその1人となります。

印刷物の単価も時代の流れによって引き下げられ、より数をこなさないといけない状況となり、タイトなスケジュールを組むようになります。

そんな状況の中、社長が無理を承知で仕事を請け負ってしまい、アップアップ状態となってしまいます。

社長以外の仕事も同時に抱えている状況です。

普段からお互いにコミュニケーションをはかって信頼関係を築いていれば手伝ってもらうことができるのですが、全くないので誰も助けてはくれませんでした。

自業自得ともいえます。

そのため時間に追われながら急いで作業をしているので、当然ミスが発生します。

社長はミスをした社員を徹底的にイジメぬくという陰湿な性格を持っています。

例えば、ミスを防止する改善策をレボートにまとめて提出させるといったことです。

これが仕事中に提出を余儀なくされるので、抱えている仕事が後回しになります。

そうなると間に合わないので、残業になります。

納期が迫っているので、休日出勤をしなくてはなりません。

この時は、ちょうど仕事が集中していたこともあって、休みなしの14日間連続出勤でした。

そんな時に限って、普段校正をしない社長がしたことによって、トラブルが起きます。

その都度校正の指示が違うことから、何度もやり直しになり、訳がわからなくなります。

「指示したことと違うことをするな」と怒鳴られ、通常ならやる過ごすところ休みもなくストレスもたまっていたので、「指示通りにやりました」と反抗をしてしまいます。

そうしたら社長が「殺すぞ」と言ってきたので、日頃のストレスが爆発して、社長と口論となり衝突をしてしまいます。

引くに引けない状況となり自ら退職をします。

健康食品会社で営業事務

この時30代後半。

前職のDTPで仕事を探すも年齢で引っ掛かり厳しい状況でした。

経理職も10年のブランクがあったので、自信が持てないでいた。

そんな時、職業訓練校の存在を知ります。

その中に簿記の講座があったので、申し込み通学することになります。

3級の基礎から学んでいくうちに改めて「自分は簿記が好きなんだ」と気づきます。

この勢いで1級の勉強を始めます。

知識としてあった方が、転職にも有利と思ったからです。

3ケ月の職業訓練も終わり、経理を含めた事務系の職種に絞って探し、健康食品を扱う会社に就職することができました。

仕事の内容は商品の受発注業務及び在庫管理です。

Excelを使った業務がメインとなるため、効率化をはかることができるVBAを学びます。

VBA【 Visual Basic for Applications 】 とは、Microsoft Officeに含まれるアプリケーションソフトの拡張機能で、単純な作業などを自動化させることができるプログラミング言語です。

VBAを使って作業が効率化できたことによって評価を受けます。

ここにきてようやく落ち着いたので、結婚を意識します。

これまでは生活にゆとりが持てなかったので、結婚するという考えがそもそもありませんでした。

結婚を強く意識したキッカケは、社長の影響によるものです。

社長は、親分肌の典型的なワンマンタイプで絶対的な存在。

プライベートのことまで、いちいち干渉する人でした。

独身である私に対して、ことあるごとに「早く結婚しろ」と言ってきました。

最初のうちは、将来を心配して言って貰えていると思い、嬉しくもありました。

しかし、時が経つにしたがい、それはパワハラとなってエスカレートしていきます。

「男に興味があるのか?」とか「お前のあそこは役に立たないのか?」といった言葉です。

女子社員のいる時や来客の方がいる前でも、平気で同じことを言うのだからたまりません。

周りも色眼鏡で私を見るようになります。

ただ「結婚したい」ということだけにフォーカスをしてしまい、気持ちが焦っているので、あらゆるものに手を出します。

恋愛系の情報商材を買い漁ることから始まり、社会人サークル、趣味のオフ会、出会いパーティー、婚活サイト、結婚相談所などです。

独身でいることに対する恥ずかしさや、一人前の男として認めてもらえないもどかしさ。

この思いが自分を奮い立たせる原動力でした。

そのかいもあって、結婚に至ります。

関連会社に転属

会社の経営が悪化し、関連会社に転属を命じられます。

転属先はこれまで健康食品を卸していた販売会社になります。

「宣伝講習販売」といって、廃業したコンビニの跡地に仮店舗を作り、酵母入りのパンやお米といった商品をもらう目的で高齢者が来場します。そこで、健康の不安を煽り高額商品を販売する手法です。

この手法は、悪徳商法のひとつで、「催眠商法」ともいわれています。

社風はイケイケの体育会系のノリでノルマがきついことから、辞める人間が後を絶ちませんでした。

なので、職場の環境も最悪でした。

私の仕事は、集客するために必要な商品の受発注及び在庫管理になります。

パソコン業務がメインで、Windows95が普及する前に作られたと思われるような会社独自のソフトウェアを使用していました。

黒い画面に緑の文字といった一昔前のものをいまだに使っていることに、愕然とします。

商品の出荷数を調べるにしても、作成したファイルを読み込んでExcelに書き出すことができれば簡単に集計できるのに、画面を見ながら電卓をたたいて集計をする始末。

また、商品を発注する際に印刷されたコード表をいちいち見ながらしているのが面倒なので、自分で商品コードをExcelに入力して検索しようとしたところ、「楽をしたいだけでロジックがない」と上司から言われ、一蹴されます。

パソコンがあるのにまったく使いこなせていない状況と、詐欺まがいのことに加担している後ろめたさから仕事に対するやる気も失せていきます。

やる気がないと、当然ミスを犯します。

すると上司に叱責され、更にやる気をなくすといった負のスパイラルに陥ってしまいました。

この上司は、私より年下にも関わらず考えが古いので、感覚が合いませんでした。

彼は、会社の中で自分を認めてもらいたいう承認欲求が強く、理不尽な命令でも引き受け、独りで仕事を抱えてしまうところがありました。

彼もある意味、ブラック企業に洗脳された被害者でした。

自分が会社に支配されて振り回されているので、心に余裕がなく、いつもカリカリしていました。

「頭を使って俺に楽をさせてくれよ」とか「俺の足を引っ張るな」ということを口癖のように言い、不満のはけ口にされたのです。

上司とはいえ、年下の人間から「ダメ出し」を受けることは屈辱的で、自分が何の役にも立っていないことを思い知らされ、仕事が手に付かなくなってしまいます。

誰にでもできる簡単な仕事でもできない状況になってしまい、次第に自分の仕事がなくなっていきます。

毎日やる仕事を上司に伺い、仕事がない場合は待機状態。

ただ、時間が過ぎるのを待つばかり。

これが毎日続くのは地獄です。

会社にいながら、仕事がない状態。

要は、社内失業です。

心を許せる同僚も皆無で、自分が空気のような存在に感じました。

どうあがいてみても、今のままでは未来がない。

世間的に見れば、「40半ばで再就職は厳しいのに、自分から辞めるなんてバカなんじゃないか」と思われるかもしれません。

しかし、そんなことを考えていられる状態ではありませんでした。

会社に行くのが辛くなり、吐き気を催すようになります。

生きているのがしんどい。

自殺するわけにはいかないので、誰もが納得できる死に方を求めていました。

例えば、交通事故や心臓麻痺で突然死。

それならば保険金もおりて、家族にも迷惑を掛けないで済む。

このまま続けていたら、間違いなく壊れてしまう。

結婚生活もギクシャクしだし、離婚をします。

自分の健康を優先して退職に踏み切りました。

ネットビジネスに挑戦

私は会社組織に馴染めない人間であることを実感し、独りで生計を立てていくという選択をします。

これまでも、副業でネットビジネスの経験があったからです。

副業を始めたキッカケは、婚活をするにあたって年収が低かったからです。

最低でも400万以上でないと、婚活市場では見向きもされません。

そのため、初心者が手軽に始められるビジネスとして「せどり」を始めます。

せどりにも色々と種類があり、私が行っていたのは、ブックオフで本を安く仕入れてAmazonに出品し、第三者に高く売るというビジネスモデルです。

本以外にも、雑誌やCD、DVDを取り扱っていました。

コツが掴めると軌道に乗り、年収は最低ラインの400万円をクリアすることができました。

しかし、せどりを副業でやる分には問題はないのですが、本業でやるとなると状況は変わってきます。

売上を上げるために、仕入れの数を増やさないといけません。

それに伴い、仕入れた商品を保管するスペースが必要になってきます。

また、出品における手間もかかってきます。

会社を辞めると収入は途絶えるので、極力出費は抑えたい。

そこで、「在庫を持たない」「初期費用が掛からない」「利益率が高い」「毎月の定額収入が見込める」といった堀江貴文さんが推奨するビジネスモデルに魅力を感じ、アフィリエイトに関する情報をネットで調べます。

そこで、興味を惹かれた記事に出会います。

その記事には「3ヶ月ブログを書き続けたことによって、アドセンスで月収10万円を達成することができました」と書いており、「そんなことって、本当にあるんだ」って驚きます。

早速メルマガに登録し、「コンサル生を募集します」というオファーを受け、高額塾に入ります。

この塾では、季節のイベント記事を量産するやり方を教えていました。

主催の彼は20代と若いこともあって、1日に3記事、3ヶ月で約180記事というスピードをこなしていました。

しかし、1日に3記事を書くということは、簡単なものではありません。

ちゃんとした記事を書くとなったら、リサーチをして1記事書くのにだいたい3時間から4時間かかります。

これが3記事だと約12時間となります。

中高年にとって、長時間のパソコン作業はきついです。

また私自身が、クリスマスツリーや花火といったイベント事に全く興味がないことから、記事を書くことが苦痛となります。

がんばっても結果が出ない現実を突きつけられ、失った時間とお金のことを考えてうつ状態となってしまいます。

自分の人生を振り返って、何をやってもことごとく上手くいかないことに、嫌気がさしていた。

そんな八方塞がりの状況で思い詰めていた時に、メンターと出会います。

本気で悩んでいる苦しい時には、必ず悩みを解決してくれる人が現れます。

メンターの教えに従ってビジネスを中心に学んでいくうちに、これまでの人生を振り返ることもでき考え方が変わりました。

今こうしてブログに取り組んでいるのもこの理由によるものです。

混沌とした時代に疲弊している私と同じ団塊ジュニア世代の人たちに元気になってもらいたい思いで情報配信をしていきます。