私はHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン Highly sensitive person)であることから、集団生活が苦手なため、ひとりでいることが苦になりません。
むしろ、心地良いくらいです。
でも、世間では『ぼっち』と称して、ひとりでいることをバカにします。
これは学校教育による刷り込みと、日本における農耕民族特有の「みんなと同じでなければいけない」という価値観が生み出した因習による背景があります。
そのことで、苦しみ続けている人も多いと思う。
私もその一人でした。
ひとりでいることが恥ずかしいと思い、コミュニケーション能力を上げようと自己啓発のセミナーに参加した時期もありました。
参加してみて感じたことは、自分が苦手なことはいくら続けても効果がない。むしろ時間と金の無駄であることがわかりました。
もう、他人の目を気にするの辞めませんか。
私の体験を交えて、『ひとりぼっち』は恥ずかしくないことを紹介していきます。
『ひとりぼっち』に負い目を持っていた
私はひとり行動が好きです。
ひとりだと人に気を使うことがないので、気楽であることが理由です。
人から「趣味は何なの」とか「休みの日は何をしているの」といった質問に対して、ひとりで行動しているのがほとんどなので、いつも返答に躊躇していた。
それは他人から「ぼっち」と見られてしまう恐怖からです。
例えば、ひとりでご飯を食べたり、旅行に行った話をしたとします。
そうすると、たいがい「寂しくないの」とか「友達いないの」といったことを言われ、気分を害してきました。
綺麗な景色を観光し、美味しい食事が出来れば楽しいし、自分は孤独で寂しいとは、全く考えもしなかったです。
好き好んでしているだけなのに、自分が他人と感覚がズレていることに、ずっと負い目を感じていた。
『ひとりぼっち』の本音は寂しい
中高年になると、上下関係や複雑な雇用形態の環境下である会社では、深い人間関係を築くことは難しい。
そのことから、趣味や嗜好が合えば、何かを共感したり共有できると人と出会えると思いコミュニティに参加しています。
そこで感じたことは、自分は人に対して、何を与えることができるのか。
例えば、「癒す」とか、「なごませる」といったことですね。
結論からいうと、今までそのようなことが出来ていなかったから、ひとりになっていた。
だから「ひとりでいると寂しいから友達欲しい」とか、「孤独は嫌なので、とにかく仲間が欲しい」といったことは、話の順序が違うんですよね。
自分が人に求めるだけで、価値を与えていない人間だということに気づきました。
見返りを求めてはいけない。
Giveの精神ですね。
すべての悩みは人間関係からくる
そうはいっても、集団でワチャワチャしている環境は苦手です。
本音を押し殺して、偽っている自分を演じ続けることがとにかく苦痛。
会社以外でも、人の顔色を伺うのはストレスになります。
「すべての悩みは人間関係からくる」と心理学者のアルフレッド・アドラーも言っています。
人の悩みは人間関係からくるものがほとんどで、人の精神が病んでしまうのも人間関係が原因とされています。
今は昔と違って、精神的に病んでいる人が多いです。
ついこの前まで元気だった人が、いきなり病んでしまうなんてことはよくある話です。
私の知り合いも、うつ病になりました。
終身雇用の崩壊や45歳早期退職といった状況となって、精神的に病む人は更に増える感じがします。
まとめ
『ひとりぼっち』について、私の体験を交えて紹介しました。
人間はひとりでは生きていくことができないので、ある程度一定の距離感がおけるようなコミュニティに属していた方がいいと思います。
でも、なんだかんだいって、最後は一人なんですよね。
自然界の動物達を見ても同じことがいえます。
自分が一番可愛いし、自分がどん底に落ちたときに、果たして友達がずっと助けてくれるのだろうか?
そう考えると、結局自分を頼るしかないということがわかる。
早くから、孤独に慣れてないと恐いものがなくなります。
なので、『ひとりぼっち』は決して恥ずかしいことではないです。