青春のほろ苦さを思い出させてくれる映画『さびしんぼう』の感想




ネタバレ含みますのでご注意ください。
『転校生』、『時をかける少女』と続く尾道三部作の最終作。

 

『別れの曲』を聴くたびに、胸がキュンとなり、鳥肌がたつのは、この映画の影響力が大きい。
青春のほろ苦さが、尾道の街と見事にマッチしており、富田靖子が演じた女子高生の百合子の清楚な美しさ。

 

手の届きそうな、身近な美人というのかな。
この映画を観た当時の少年たちは、まちがいなく百合子に惹かれたと思う。
私もその一人。

 

だから、尾見としのりが憔悴しきって、ずぶ濡れになって歩いている姿は、かつての自分と重ね合わせて涙が出てきた。

 

今でも色褪せない名作なのは間違いない。
そんな『さびしんぼう』のあらすじと感想をご紹介します。

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あらすじ

井上ヒロキ(尾見としのり)は、カメラが趣味の高校二年生。
お寺の跡取り息子です。

 

カメラの望遠レンズによって、近所の女子高を覗いているうちに、放課後の音楽室で、ショパンの『別れの曲』を弾く橘百合子(富田靖子)に目が留まる。

 

ヒロキは彼女をひそかに『さびしんぼう』と称して恋焦がれる。
ヒロキが『別れの曲』を認識していたのは、母のタツ子(藤田弓子)にピアノの練習を強要されていたからだ。

 

月に一度、寺の大掃除に友人たちが手伝いにきた際に、タツ子の少女時代の写真の束が風によって庭に散ってしまう。

 

その日を境に、ヒロキの前にピエロのメイクをした『さびしんぼう』と名乗るほんの少し変わった少女(富田靖子)が現れる。

 

ある日、ヒロキは自転車のチェーンが外れてしまい困惑している百合子に出くわす。
ヒロキはまたとないチャンスとばかりに、彼女を家まで送っていくことに。

 

その帰宅の途、百合子から「ヒロキのことを以前から分かっていた」ことを告げられ、幸せな気分を楽しむ。

 

バレンタインの日、『さびしんぼう』が現れ、玄関に置いてあったチョコレートをヒロキに渡す。
差出人は百合子からだった。

 

手紙が添えられてあって「もう、これっきりにして下さい。」と有無を言わさずに突き放された文言に、ヒロキは唖然とする。

 

『さびしんぼう』は、明日自分の誕生日でひとつ年を重ねると、ヒロキと会うことが出来なくなると伝える。

 

次の日、ヒロキはどうしても自分の感情を抑えることができず、百合子に家に出掛ける。
クリスマスプレゼントに買った『別れの曲』のオルゴールを百合子に渡す。

 

憔悴して、傘もささず自宅に着いたヒロキの前に、『さびしんぼう』がずぶ濡れの姿で、待っていた。
ヒロキは彼女を抱きしめしばらくすると消え失せていた。

 

翌朝、玄関に落ちていた少女時代の写真をタツ子は拾うが、それは『さびしんぼう』の写真だった。
その後、寺を継いだヒロキの傍らには妻となった百合子の姿があった。

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青春のほろ苦さを思い出させてくれます

この映画を初めて観たのはテレビ放映でした。
ビデオで録画したけれど、一回観て心が突き動かされ、その後何度も観て胸に刻んだ映画です。

 

当時の私は男子校に通っていたこともあって、彼女をつくることもできない高校生でしたが、中学の同級生に片想いの人がいました。

 

そんな私に響いたんです。

 

その後、勇気を振り絞って告白し、ものの見事にフラれましたが…。

 

ビデオテープが見られなくなり、久しぶりに観たい衝動に駆られ、DVDを購入して鑑賞。
改めて心を揺さぶられましたね。

 

高校生の時には理解出来なかったメッセージが頭に入って来ました。
あの頃と人生経験を積んだ今とでは、感じるものが違います。

 

この映画は、多くの人が必ず経験する片想いや失恋、心の動揺を上手に自分に置き換えて表現してくれているところが素晴らしいですね。

 

人は誰でも一つや二つ秘密にしておきたい過去がある。
それが何なのかを解らなくても、全部含めて愛する素晴らしさを父親が語り、ヒロキは、百合子と結ばれます。

 

本当に凄い父親ですね。
人が人を愛するのは自然の摂理だけど、その想いを話すことができずうまくいかないのも人生ではよくあること。

 

前半部分は、確かに観ていてコメディー要素が強いことからバカだなぁ~と感じるけど、後半部分のヒロキと百合子とさびしんぼうの心を描いているところは、一般的な愛情の価値が十分に表現されている。

 

観れば観るほどその深さに気がつきます。

 

その中でも私がお気に入りの場面は、ヒロキが百合子と最後のお別れが終わった後、大雨の中家の前の階段で待機していたさびしんぼうが、水に濡れると死んでしまうのにヒロキと百合子の事が気掛かりとなって真っ先に聞いたところです。

この時のさびしんぼうの表情がとても好きですね。

 

相手を何より先に想うこの態度は父親が風呂場で語った人を好きになれと言う言葉とリンクする。
相手を想う思いやる気持ちが見事に描かれている映画ですね。

ヒロキが百合子に振られた理由とは?

ヒロキはお目当ての百合子に最後振られてしまうけど、彼女はその理由を結局のところ映画の中では明かしていない。

 

「私の顔のこちら側だけ見ていてください。反対の顔は見ないで」

 

この言葉から、ヒロキに触れられたくない部分を抱えているのだと予想される。

 

魚屋の場面もそうだし、ヒロキが百合子と最初の会話で自己紹介した時、彼女が「あの大きなお寺の」と口にしていますしね。

 

それと百合子は、学校で『別れの曲』を弾いている。
そこから思い浮かぶことは、彼女の家にはピアノがないということ。

 

そして、『別れの曲』が弾けるということは、昔はピアノがあった、或いは習っていたということが考えられる。

 

要するに、百合子は昔から辛い暮らしをしていたわけでなく、裕福な生活が何かの経緯で大変になったのではないかと思う。

 

魚屋さんも百合子に対して、物腰が低く、とても礼儀正しい言い方だった。

 

百合子は、お坊ちゃん気質のヒロキに後ろめたい気持ちを感じたとかではなく、ただ思春期の女の子として、何も知らず好意を寄せてくれた男の子にそういった現状を知られたくなかった。

 

過去の辛くなる前の生活も経験しているからこそ、なおさらそう思ってしまったのではないかな。

 

付け加えると、ヒロキが最初に百合子と話した時に「ずっとこっち側の顔を見ていたから、こっち側のほうがいい」と言ったことに対する返答になっているんですよね。

 

自分の好きなところだけ見ていたいとも受け取れるヒロキの言葉を受けて、百合子の気持ちが「こちら側だけを見ていて」と言わせたのだと捉えることが出来る。

 

これといった考えなしに口にした一言が、これ程までにヒロキの胸に突き刺さるとは。
名台詞ですね。

 

そして、何も言い返せないヒロキの幼さが強調される名場面です。

 

これが父親とのお風呂のシーンにつながり、父親の台詞「全部を好きになれ」が際立つんですよね。

 

最後、ヒロキの願いが叶ったように描かれているけど、この流れで考えれば、百合子と成就しても可笑しくはない。

まとめ

本作のキモとなるのは、恋焦がれた初恋の相手と実らなかった母親が、自分の息子に重ね合わせて描いている発想が秀逸。

 

息子の恋はその後、成就させているところである。
これによって本作の価値は決まった。

 

母のさびしんぼうが際立つからである。

 

尾身としのりがピエロの姿となった母のさびしんぼうを玄関の階段下で抱きしめる場面は、自分がふられたことが要因となって理解できた母の想いを抱きしめるシーンとして見れば感動的ですね。

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